ロースクールごとの特徴

※visiting scholar (以下、VS) としての経験に基づく(=LL.M.での環境等は異なり得る)。

※観光等で訪れた大学についての感想も含む。

 

○コロンビア大学 (ニューヨーク州ニューヨーク)

・東芝ライブラリー(全米でも最大級の日本法に関する図書館)の存在は大きい。日本法に関する各種オンライン・データベースも使用でき、日本の仕事ができる(よいことか否かは別問題)。

・VSの受入れ体制は十分とは言えない。ロースクールから数分歩いたあたり (Broadway & 113rd だったか……使ってないので忘れている) に LS が受け入れているVS向けの部屋があるが、アパートメントの1室で狭く、長時間居座って仕事をするには向かない(図書館から遠い点も、マイナス)。このため、多くのVSは、ロースクールの学生とともに図書館で仕事をするか、自宅で仕事をすることになる。

・試験シーズン以外は、図書館で席取りに困ることはない。

・VSのフォーラムあり。学期中、週に1回、1時間程度。VSのうち希望者が20分程度の簡単な報告をし、それに基づいて議論をする。

・かつては周辺の治安が悪いとされたが、体感ではかなり改善されている様子。もっとも、暗くなったらロースクール横の公園(モーニングサイド・パーク)には入らないこととしている(セントラル・パーク等、他の公園においても同じ)。

・周囲のランチ事情はあまりよくない。スーパーで簡単なものを勝手食べることが多い。

・街外れなので観光客も少なく、周囲の環境は落ち着いている。

・様々なセミナー等が学期中開催され、VSも出席できる。とくにLL.M.学生にとっては人脈作りに役立つのではないか。

・VS用に大学が用意した住居はない。LL.M.向けはあるが、家賃は高いと聞く。

・地下鉄は1トレインが大学の目の前に止まるほか、少し歩いたところにBトレイン、Cトレインの駅もある(116th St が最寄りだが、周辺の環境がいまひとつなので、110th St を利用している)。ダウンタウンやブルックリンへのアクセスも便利。

・日本食はレストランもスーパーも多くある。きちんとしたラーメン屋も少なくない。

・ダイソーがない(生活雑貨を安く買うときに若干不便)。

・店員がぶっきらぼうな店も多い(スーパーやドラッグ・ストア等)。

・自動車なしで生活可能。地下鉄が便利(しょっちゅう遅延するけれど)。

・家賃は高いが、ベイエリアと異なり供給も多い。

 

○UCバークレー(カリフォルニア州バークレー)

・大学街。

・広大で緑豊かキャンパス。

・教職員が親切。

・VS用の専用の部屋がある。自由席のキャレルがあり、ロッカーも利用できる。

・東アジア図書館に日本の書籍もあるが、研究上は不便な思いをすることも少なくなかった(ただし、米国内の他の図書館から取り寄せることも可能)。

・乾季はずっと晴れる。日当たりがよく気分がよい。

・日本食のスーパーあり。充実しており、ほとんどのものが手に入る(薄切り肉は手に入りにくい。オークランドの韓国系スーパーに行くべし)。

・ダイソーがある(大学近く等、数店舗ある)。

・治安はいまひとつ。夜の街は暗い。キャンパスは森なので、夜は危険(夜は遠回りでも学外の車通りがある道を歩くべし。どうしても学内を夜歩く必要があれば、大学が用意したバスやエスコート・サービス等の利用を検討すべし)。ただし、夏は9時過ぎまで明るい(いわゆるサマータイム制度である上、太平洋時間帯の西側に位置するため)。

・小さな街だが、美味しいレストランが多い。

・ラーメン屋あり(滞在中は開店しなかったが、その後、一風堂が開店した)。

・サンフランシスコまで電車(BART)で30分程度。

・バークレー内の電車移動は不便。バスか自家用車、自転車を利用すべし(頻度によってUBER等で代える手もある)。

・自家用車を持って駅から離れた家賃の安いところに済むか、自家用車を持たず駅から便利なところに住むかは考えどころ。

・家賃は高い(供給が少ない上、シリコンバレーの好況で需要が増えているらしい。このためベイエリアは全米で一番家賃が高いとか)。

 

○ニューヨーク大学(ニューヨーク州ニューヨーク)

※見物しただけ。

・VSにもパーティションで区切った固定席が与えられる。

・ダウンタウンに位置するので食事する場所の選択肢も多い。

 

○ワシントン大学(ワシントン州シアトル)

・緑が多く美しい街。

・日本法に関する書籍をかなり持っている様子(新しいものについてはやや弱いとの評価も聞く)。

・ダイソーあり。

・広大なキャンパス。

 

○デューク大学(ノースカロライナ州ダーラム)

・同大学留学中の友人がニューヨークに当時あった吉野家*1を訪れ、「ノースカロライナにはこんな美味いものはない」と言って泣いた(2002年)。

*1:今はもうない。