カンザスシティー2日目。ホテルの部屋から、魚眼レンズで。どこまで行っても平らな街の様子が伝わるだろうか。
アムトラックの駅を見物。
駅近くで「人体の不思議展」が催されていた。日本で開催されたときに観たが、その後あちこちで物議を醸したと聞く。ここで再会するとは思わなかった。15年ぶりくらいだろうか。
昼前に友人にピックアップして貰い、まずは、美術館併設のカフェでブランチ。昼酒にロゼ。残念ながらというべきか、ナパバレーから来たものだった。
美術館前。「考える人」あるいは「考え込む人」かと思ったら、「泣く人」だった。
昼食後、まずは、ニグロ・リーグス・ベースボール・ミュージアムへ。人種差別の歴史を展示するとともに、アフリカ系の英雄達の功績をたたえる博物館。昭和2年の日本の雑誌「野球界」5月号も展示されており、同リーグの選手達が、戦前に訪日していたことを知る。日本の選手1名と同リーグの選手1名が並んで立っている写真が表紙を飾っていたが、日本側は学生野球なんじゃないだろうか(Wikipediaには、「アフリカ系アメリカ人選手を中心とするニグロリーグが混成チーム、フィラデルフィアの「ロイヤル・ジャイアンツ」を結成して来日。三田倶楽部、同志社大学、関西大学などと24試合を行い、23勝0敗1分で日本チームを圧倒した。」とある)。この展示の前で日本語で話していたら、アメリカ人から「あなたたちが話しているのは日本語? 韓国語?」*1と問われた。「日本語ですよ」と答えると、「展示されているのは何? なんて書いてあるの?」とさらに質問され、説明。毎度のことながら、アメリカ人は人なつこいよね。
引き続き、同じ建物の中にある、アメリカン・ジャズ・ミュージアムへ。こちらは小規模。
ここでも日本語に遭遇。
コーヒーを飲んで、一休み。
ミズーリ川。ネイティブ・アメリカンの言葉で「泥の川」という意味だそうだ*2。たしかに、泥を多く含んでいるように見えた。ボートの人に手を振ったら、「こっちに来いよ~」と呼びかけられた。エンジンを切って流れにまかせビールを呑んでいたので、是非とも合流したかったが、泥の川を泳ぎたくはなかった。
マーケット見物。
ブラジル料理屋で夕食。ポルトガル語でビールを注文。「ポルトガル語上手いね」と褒められたけれど、5分前にグーグル先生に教えて貰っただけ。
道端の看板。洒落ている。「95年以降に生まれた方へ、これは電話です」。
夜、ホテルでニューヨーク、ニュージャージーのテロを知る。手作り爆弾で被害は小さかったが、911から15年という節目の直後だけに、衝撃があるのではなかろうか。